ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子『自分の感受性くらい』花神社(1977)
全ての責任は自分に
最後の “ばかものよ” がとても印象深く残りますね。
もしかするとここに抵抗を感じる方もいらっしゃるのかも知れません。
この部分も含めてご説明できたらなと思います。
「自分自身に関する責任は全て自分自身にある」これはカウンセリングを進めていく上でとても重要な事柄です。
自分自身の人生の主役は常に自分自身にありますし、何をするにしても自分自身が中心に物事が変化します。
他人があなたに変わり、あなた自身の主役を務める事は決してありません。
常に自分の事は自分で動かせるのです。
ですから、自分自身の「感情の変化」「思考の構築」「行動の選択」は全て自由、それ故責任が生じるのでしょう。
彼女の詩からは力強さが滲み出てきそうな勢いを感じます。
この詩を読むとカウンセラーの立場から、身が引き締まります。
茨木のり子の生き抜いた時代
初めてこの詩を読んだとき、彼女のこの力強さはどこから来るのかに気になりました。
なぜ茨木のり子はここまで力強く言い切ることができたのでしょう。
その訳は彼女の生い立ちに触れると明らかです。
1926年に生まれた彼女にとっての青春時代は第二次世界大戦の真っ只中、怒涛の時代で育ってきた彼女にとって大きな変化を虐げられました。
今まで信じていた軍国主義が打ち砕かれ、新たな民主政へと大きく変化した時代、この怒涛の変化にしがみ付き生き抜くためには、何よりも感受性を保つ必要があったのでしょう。
時代のせいには出来ず、
国のせいにも出来ず、
他人のせいにも出来ず、
ただ、移り行く変化に自分を適用させざるを得なかったのではないでしょうか。
わたしが一番きれいだったとき
彼女の青春時代がどのようなものなのか、それを記した詩として「わたしが一番きれいだったとき」があります。
彼女の作品の中で最も有名な詩の一つで、多くの教科書にも掲載されています。
この詩を読むと、彼女の生き抜いた青春時代が反映されているような気がします。
より“茨木のりこ”と言う人物を理解することができると思います。 彼女の残した「自分の感受性くらい」を深く理解する意味でこちらの詩も紹介させて頂きます。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で海で名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
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